vol.1 知るほどに興味津々!「明舞団地」の可能性を探る

明石舞子団地は、その名のとおり明石市から神戸市垂水区舞子地区にかけて広がる街。約半世紀前に誕生し、「明舞(めいまい)団地」の略称で親しまれています。

多くの子どもたちが育ち、巣立っていったこの団地も、近年は、建物の老朽化・住民の高齢化・空き家の増加など、「オールド・ニュータウン問題」が顕著です。

ところが最近は、住民主体のコミュニティ活動や、利便施設の更新、住み替えや住み続け促進の施策などが積極的に行われ、再び、住みやすく興味深い街になってきています。

今回は、明舞団地がどのように誕生し、現在どのような街になってきているのか、ご紹介したいと思います。

「家族で団地暮らし」は
日本人の憧れの的だった

明舞団地が誕生(入居開始)したのは1964年(昭和39年)、前回の東京オリンピック開催の年です。日本各地で「ニュータウン」として大規模な住宅地開発が始まった頃で、日本で最も古い「千里ニュータウン」と同じ1960年、兵庫県内におけるニュータウンの先駆けとして計画が始まりました。

今の若い人には信じられないかもしれませんが、当時は「ニュータウンで団地暮らし」は日本国民の憧れの的。子育て世代を中心に、ご近所や親戚との密な付き合いから逃れ、近代的な生活を送ることができる理想的な住まいだったのです。

ましてや明舞団地は、海がすぐ側にあり、明石海峡や淡路島を望む絶好の立地。おまけに、神戸や大阪へのアクセスも便利なので、入居希望者が殺到したのだとか。

学校、スーパー、総合病院も。
街の中で生活が完結する利便性

ニュータウンは、元々は山や森だった場所を切り拓いてつくられた街。そのため、設計段階から、広い道路や大きな公園、学校やスーパー、役所、医療機関など生活に必要な要素が組み込まれており、それらは今も形を変えながら残っています。

明舞団地の中心部にある「明舞中央病院」や高齢者施設、コンビニなど。

明舞団地中心部には、スーパーや飲食店テナントが入る「コムボックス明舞」があるほか、2018年11月には、新しい商業施設「ビエラ明舞」がオープンし、ますます便利に。

神戸市と明石市それぞれのサービスコーナーが同じ部屋にあり、入り口だけ別々という、おもしろい設計。

従来の自然を残してつくられた大きな公園の数が多いのも特徴。よそではなかなかお目にかかれない、実物大の動物モニュメントや大きな石の10連すべり台も。

“超(々?)高齢社会”を迎え、
「助け合いのしくみ」が活発に

明舞の街を歩いていると、高齢者の多さに気がつきます。WHOなどの国際定義では、高齢化率(65歳以上の人口比率)が21%を超えると超高齢社会。現在の明舞団地の高齢化率はなんと41.6%(H27国調)と、超(々?)高齢社会を先取りしています。

独り住まいの高齢者も年々増え続けているため、最近になり、住民ボランティアによる食堂や配食サービス、“まちの保健室”など、住民やNPOなどの「助け合いのしくみ」が多く生まれてきています。

「NPOひまわり会」によって運営されている、明舞団地住民向けの食堂。すべてボランティアの手で行っており、一人暮らしの高齢者にとっては貴重な団らんの場となっています。

また、明舞団地では公営住宅の空き家を「学生シェアハウス」として活用する施策もスタート。学生の皆さんは、格安で団地に住みながら、地域活動に参加することで、地域課題やコミュニティについて学び、地域の高齢者にとっても、若者が実際に団地内に住むことで新しい刺激や活力を得る良い機会となっています。

学生シェアハウスの入居者募集のチラシ。地域活動に参加することを条件に、格安で団地に住むことができます。

学生シェアハウス説明会の様子。入居団地の自治会長さんたちや、既に学生シェアハウスに住んでいる先輩学生から、説明を受けています。

この街で何ができる?
可能性は無限大!

このように、約半世紀前につくられた明舞団地は、時代の変化に伴い、街も人も少しずつ変化し、この街の新たな魅力を生み出してきています。

住民の高齢化や空き家の増加も、ネガティブに見れば「問題」ですが、逆手に取れば「可能性」にもなり得ます。明舞団地では今、この街をベースに「可能性」を模索する人が少しずつ、増えてきています。

次回からは、明舞団地で今起きている、さまざまな事例を紹介していく予定です。あなたにとっても、明舞団地との出会いが何かのきっかけになるかもしれません。ぜひ、「可能性」を感じ取ってみてください。

<ライター:村崎 恭子>

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